【連載】webサイトがまちづくりでできることを考える『まちとWeb』
『まちとWeb』はウェイズが制作するクリエイティブが、まちや人とどのように関わっているのか掘り下げます。
実際にクライアントに話を聞きながら、Webサイトの持つ可能性を探ります。
JR神戸駅、西側改札を出て西に向かって歩く。
駅前の住宅街から1階部分に飲食店が入る建物が目立ち始め、ふと顔を上げるとビビッドな赤と青のモニュメントが目に飛び込んでくる。
新開地商店街の南口にそびえるシンボルゲート、チャップリンがモデルの「BIGMAN」だ。
商店街を進むと、すぐ右手に大衆演劇場の「新開地劇場」、左手にアートビレッジセンターが現れる。
一緒に立ち並ぶ飲食店群の中には、すでにお客さんでいっぱいの居酒屋もいくつか。店の中はどうやら昼イチからすでに出来上がっている様子。
道の端に中高年の男性が立ち止まっていたり、小走りに往来していくのは、そのすぐ向こうに競艇のチケットショップがあるからだろう。
広い多門通りに出るとパッと視界が開け、信号を渡った先にラウンドワンが見える。
さらに続くアーケード下の新開地商店街に一歩入れば、寄席「喜楽館」や歴史ある「グリル一平」、味のあるブティックやレトロな喫茶店が並び、またすぐにディープな空気に引き戻されるが、そんなに空気は重くない。
長い歴史と独特の自由を生きてきた大人達の渋みは街の底に常に広がっている。
しかし建物の合間に新しく現代的な店舗も見られ、それが街のスパイスのように小気味良い軽快さを出している。
歴史あるものと新しいものがごった煮のように共存することが、今の新開地の魅力の深みとなっていることは間違いなさそうだ。
ウェイズは20年以上前からこの新開地のまちづくりに関わってきた。
新開地まちづくりNPOの方々と、「新開地ファン」という情報発信サイトを中心に、映画祭・音楽祭・マルシェなど様々な企画の発信をお手伝いしている。
今回は新開地まちづくりNPO事務局長 藤坂昌弘さんに、これまでのウェイズとの関わりによるまちづくりの軌跡と、これからの未来に実現したいことをお聞きした。
新開地まちづくりNPO事務局長 藤坂昌弘(ふじさか まさひろ)さん
新開地映画祭や音楽祭、土曜マルシェなど新開地で開催されるイベントを企画運営
地域の事業者さんや住む人々の声をきき、まちづくりに生かしている
激動の街「新開地」
- ウェイズ
- -まずは新開地まちづくりNPO様の活動や取り組みについてお聞きしたいと思います。
- 藤坂さん
- 新開地は半世紀以上前は神戸の中心で、一番は歓楽街として「東の浅草、西の新開地」なんて称されてました。あとは下町ですね。そうやって文化で成り立ってきた街なので、その名残を大事にしながらまちづくりをしましょうということで始まりました。
私は先輩達から引継ぎ、まちづくりNPOの活動を10年ほど続けています。
- ウェイズ
- -新開地はもともとどんな街だったんでしょうか
- 藤坂さん
- 新開地の街は歓楽街としてずっと栄えていたのですが、時代の移り変わりの中で映画館や劇場がなくなり空きビルだらけになって、それと一緒にイメージもかなり悪くなっていました。
まちづくりは4つの商店街の組織があって、その理事長さんたち中心にもっと街を良くしよう、イメージアップをしていこうと取り組みが始まったのが約40年前です。
それで最初は廃墟、廃ビルをなくしていこうと。神戸市さんと協力して整備を進めて、まずは街のイメージを良くしようと取り組んだわけです。
そのときは「こんなところにマンション建てても誰も住まない」なんて言われてたそうです。
その事業を進めている途中で、1995年の阪神淡路大震災が起こり、本通りも壊滅的な被害を受けました。
- ウェイズ
- -そこで震災に
- 藤坂さん
- そうです。ただ、新開地は神戸市さんと一緒に「街を良くしよう」と地震より前からいろいろ進めているところだったから、復興がとても早かったと聞いています。すぐに再開発に動くことができた。
特に多門通りより南側のエリアは、アーケードもとっぱらって高層マンションがすごく増えてるでしょう。
これは半世紀前を知ってる人にとっては信じられない光景だったわけです。
- ウェイズ
- -BIGMANから多門通りまでのところ、昔は確かにアーケードがありましたね
※赤い斜線の中央から右側が多門通りより南側のエリア
- 藤坂さん
- BIGMANゲートのところからトラックがたくさん出てて、日雇い労働者の方々がそこから仕事に行くっていうのが昔の日常としてあって、雨が降ると休みになるのでアーケード下で酒盛りをしてらっしゃったんですよね。そういうのもなくしていこうと。
今建ってるマンションも見てもらってわかるように、少しずつ変わってる。
普通よりも派手なデザインだったり、オーナーさんにお願いしてできるだけ1階部分にお店を入れてもらったり。
商店街はまずお店がないとだめなので。それが無理だったら植栽に力を入れてもらって、とにかく街の景観に力をいれているんです。
「アートの街」と呼ばれるようになるまで
- 藤坂さん
- 新開地はもともと氾濫の多かった湊川を埋め立てて作られていて、そこに劇場が立ち並んで生まれた街でした。
- ウェイズ
- -湊川は「天井川」でしたね
- 藤坂さん
- そうです。当時、といっても100年以上も前です。そういう地形に埋め立てられた土地っていうのはやっぱり珍しくて、そういうルーツや、映画で栄えた歴史なんかをふまえて特に海側は「光り流れる街」というイメージでやっていこうと。
街中のタイルやモニュメントが変わった形をしているのもそういう背景をもって作られています。
まちづくりが20年くらいたった時に、ようやくハード面、つまり建物や街の景観ですね。そういうのがなんとかなってきた。
次はソフト面、”にぎわい”だと。
人を呼び込むためにどうしようかといういうところで、住民主体のまちづくりに限界を感じ、NPO法人を立ち上げて、会社として進めていくことになりました。
そこからはイベントやPR活動を進めていくことになります。
- ウェイズ
- -そのときどんな活動をされていたんですか
- 藤坂さん
- 最初の10年は私の先輩たちに当たりますが、「ファンづくり」という、これは外から新開地に来てくれたり興味を持ってくれる人を大事にしようということで生まれた言葉なんですけど。
映画祭や音楽祭で来てくれた人たちの情報を集積して、街からその人たちに新開地の情報を届ける、ということをずっと続けてきて、今では市内と市外、合わせて1万3500人くらいつながっていて、情報を発信しつづけています。
私が入ってからの10年は「地元の人」を大切にしようということで取り組んでいます。
やっぱり地元や近所の人にいいなと思ってもらえることができてないと、遠くから人を呼ぶっていうのもできないなっていうのと、あとは目に見えてマンションが増えている。
ここ20年新開地の人口はずっと増え続けていて、平均年齢は実は下がってきてるんですね。
- ウェイズ
- -平均年齢が下がってきている
- 藤坂さん
- 40代の人が倍。つまりファミリー層が増えてきた。なので上手くできれば、すごくいい街になるだろうと。
でも難しいのは新開地という街は老舗・常連・男性などに支持されてきた街なので、いきなりイメージを変えられません。
昔からいる人たち・事業者の方たちの生活や想いも大切にして、新しく入ってきた人たちにも受け入れられるような施策をずっと考え続けていかないといけない。
そこがまちづくりの難しいところなんですね。
ウェイズとの出会いと、実現できたこと
「新開地ファン」新開地ファン神戸・新開地の魅力を発信する新開地情報サイト
「新開地音楽祭」新開地で開催される音楽祭のサイト 毎年7万人が訪れる(昨年はコロナ禍で中止)
- ウェイズ
- -ウェイズは新開地まちづくりNPO様とサイト運営などお手伝いさせていただいて20年以上になりますが、一緒にお仕事させていただいてることについてどう感じられていますか?
- 藤坂さん
- 私が10年前にこの仕事につくに当たって、お仕事を一緒にするので大事にしたいと思っていたことは「新開地を知っているか、知らないか」です。
新開地を全く知らない人とはやっぱりやりにくいなと。
その点ウェイズさんは私が来る前からすごく新開地のことも、お店のことも知ってますし、安心感が非常にありました。
今はそんな労働環境じゃないのですが、当時は夜中に電話したり‥「ちょっと助けてください」って
- ウェイズ
- -ありましたね(笑)
- 藤坂さん
- それですぐ対応してもらって。体制変わったばかりでわからないこととかも聞いてね。
- ウェイズ
- -実際にファンサイトを運営されていて、集客や一般のお客様のアナウンスなどついてどう思われていますか?
- 藤坂さん
- 去年は新開地音楽祭を開催できなかったので、お客さんはまずホームページを確認するんですね。
新開地で困ったことがあったらホームページを見てくれて、例えば「あの店いまやってるんですか?」とか「新開地でお店を出したい」とか、うちに電話がくるんですね。
ファンサイトに来て、ここの番号に電話したらなんでも知ってるだろうと。毎週のようにかかってきます。
- ウェイズ
- -毎週ですか
- 藤坂さん
- ホームページを見てる側も安心するんでしょうね。
何を見てますか?と聞くと大体「ホームページを見て」とおっしゃいます。
新開地の問い合わせの窓口です。アナログな人でも調べて分かりやすいみたいですね。
- ウェイズ
- -ファンサイトでは、個別店舗さんが自分のホームページを持つのが難しいという条件を想定して、
ファンサイトが個別店舗のサイトの集合体になるように店舗ページをそれぞれ作ろうと提案させて頂きました。
音楽祭サイトでも、全てのアーティストさんの個別ページを作成して、アーティストさんの扱いを最上級まで上げていこうという提案でしたが、そちらの反応はいかがでしたか。
「新開地ファン」サイトでは自サイトを持てない店舗のため、店舗それぞれに個別ページをあて、詳細情報を掲載した。
- 藤坂さん
- こちらも絶対にそれをやりたいと提示していて。
いろんな角度の気持ちですよね。私達は運営側として、招待する人にも来る人にも気持ちよくやってもらいたい。
大変ですけどね。一つ一つの店舗やミューシャンの方にプロフィール出してもらって、作業としては大変だったけど、みなさんすごい誇らしくて自慢できるようなことになったと言ってもらえてます。
音楽祭は応募者数も年々増え750以上の応募がくるようになりました。
- ウェイズ
- -一般公募の音楽祭で750はすごいですね
- 藤坂さん
- そうです。
街の人は新開地音楽祭がすごく盛り上がったのでやっぱり意識してくれていますね。
「これだけお客さんがくるんだったら毎日のようにしてほしい」とか。街の人にとって自信にもなるんですよ。
昔は何をしてもお客さんがこなかった、そんなシャッター街が、音楽祭の2日間は全てのシャッターがばーんと開いて、信じられない数の人が来る。商売魂にも火がつきますよね。
「次はいつやるの?」とよく言われました。
- ウェイズ
- -音楽祭は7万人以上のお客さんがいらっしゃいますもんね
新開地音楽祭メインステージ
新開地音楽祭Round1ステージ
アートビレッジセンター前で行われる土曜マルシェ
- 藤坂さん
- 私達はやっぱり「こうしたい」とやりたい事はたくさんあるので、ウェイズさんとかプロの方が周りにいて、「それはこうしたらいいよ」とかプロの意見を言っていただける環境はとてもありがたい。
わからないことをわかるようにしてくれたり、出来ないことをやってくれるようにしてくれる人なので、そういうのは大事にしたいなあと思って。
信頼できる人が周りにいて、その人たちにいかに力を発揮してもらえるかという調整をするのが、僕の仕事なので。
今後ウェイズと実現していきたいこと
- 藤坂さん
-
「こちらからお店を作ってみようか」という新しいチャレンジを始めています。
近隣住民の方が商店街をどうしたら使ってくれるか、寄席の喜楽館に来てくれる人がどう使ってくれるかっていうところを考えたときに、空き店舗を6分割してそこでお店をやってくれる方を募集しました。
こちら先日満室になりました。
地元の不動産が最近できたので、不動産は不動産、うちはうちの特技と地元からの信頼があるので一緒に組んでやっています。
「まちづくりの一環でお店を作りたいのですが、ここの空いていますか?」などとオーナーさんに紹介して貰って話を進めています。
- ウェイズ
- -すごいですね!
- 藤坂さん
- 夢を叶えたいとか、こだわりがあったり、女性向けの商品を売りたい、教室を開きたいという方の後押しをしようとしていて。
「地元の人が商店街に来たいと思えるきっかけになるようなお店」という視点で募集をしています。
- ウェイズ
- -空き店舗を探す人はウェブで探すのがメインになっていて、その時に有効な見せ方ができないかご提案したいと話していましたよね。
- 藤坂さん
- うちが窓口になって、将来的にはお店の内装のことまでご紹介できるようになったらいいですね。
- ウェイズ
- -他にも、こういうのをしたいっていうのをこれからも藤坂さんからもお聞きできたらなと思っております。
- 藤坂さん
- やりたいことはウェイズさんとミーティングする中で出てきますね。
1年に1回来てくれる人向けや、毎週来てくれる人向けとか、いろんな取り組みをしていきたいですね
新開地まちづくりNPO
〒652-0811 神戸市兵庫区新開地3丁目3-11
TEL:078-576-1218
E-MAIL:info@shinkaichi.or.jp
『新開地ファン』webサイト
神戸・新開地の魅力をお届けする新開地情報サイト
『新開地土曜マルシェ』webサイト
アートビレッジセンター1階と商店街で毎月第2土曜に行われるマルシェの情報サイト
『新開地音楽祭』webサイト
新開地で開催される音楽祭のサイト 毎年7万人が訪れる(昨年はコロナ禍で中止)